7月4日に想う

もう昨日の話だが、
開業して初めての週明けを迎えた。本来休み明け営業日のはずだけど、出勤がないので不思議な感覚だ。シェアオフィスも決まっていないので、スターバックスでこのブログを書いているが、なんか油売っている気分。

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4日は我が師・故青木彰筑波大学名誉教授の誕生日。大学時代、自分をマスコミに導いてくれた師匠には卒業後も何かとお世話になり、存命中は塾生が何度となく誕生会を開いたので、この日を迎えると先生の顔を想い出す。

74日に生まれて」という映画をご存知だろうか。1989年の作品で、オリバー・ストーン監督、トム・クルーズ主演。74日・独立記念日に生まれ、戦争英雄を父に持つ主人公がベトナム戦争で仲間を誤射し、自身も下半身付随で帰還したものの、世間の嘲りに孤立し精神を病む。のちに反戦運動に立ち上がるというストーリー。

青木先生も空母の艦長を父に持ち、海軍兵学校に進むも在学中に敗戦を迎え、大きく価値観が変化する中、東大を出て新聞記者に身を投じた。編集局長時代には2度にわたり新聞協会賞を受賞するなど、「産経に青木あり」と言われた名新聞人だったが、経営者と衝突し53歳で退職。大学教授に転身する。

大学時代は、出来の悪い我々を鍛えて100人近くをマスコミに就職させる一方、新聞やNHKなどで客員や経営委員などを歴任。「オール新聞界」のご意見番として活躍された。

その青木先生は、常に新聞界全体のことを心配していた。「このままでは日本の新聞界は間違いなくダメになる」。没後13年。経営的にもジャーナリズム的にも新聞界は先生の心配を杞憂に終わらせているのか。それとも予想を超えて危機に瀕しているのか。

翻ってテレビ業界はどうか。業界全体の行く末を案じているテレビマンはいるのだろうか。「ネットに取って代わる」という見解は伝送路とかテクノロジーの問題で、まだテレビに代わるだけの質・量を誇るコンテンツの制作集団は見当たらない。今はテレビが踏ん張るだけでなく、未来に向けて成長を果たさなければ、日本のコンテンツ文化自体がシュリンクしてしまうだろう。

自分がテレビ界の青木彰になれるとは思わない。そもそも実績も器も比較にならない。しかし一人くらいテレビ界の未来に向けて提言を続けてもバチは当たるまい。57歳。先生より4年歳をとっての独立にあたり、志だけは師の後ろ姿を追いかけていきたいと思っている。